近畿日本鉄道を題材にM&Aを考える (9) 近畿日本鉄道の成立

0202昭和19年6月1日に、関西急行鉄道と南海鉄道は合併比率1対1の新会社方式で合併し、近畿日本鉄道が成立します。ちなみに関西急行鉄道とは現在の近畿日本鉄道の路線網を完成させた鉄道会社で、南海鉄道は現在の南海電鉄と同じと思っていただいて支障はありません。この合併で設立した近畿日本鉄道は、昭和22年6月1日に分割します。

通常、企業合併も企業分割も経済的合理性のもとに行われるものですが、この合併と分割は次の背景がありました。まず、合併については「国家緊急の要請に基き、両者の輸送力を挙げてこれを最高度に発揮し、以て国家戦力増強に寄与せんとするにある以外何物でもない」といい、分割については「元々南海と関急との合併は甚だ無意味なものであったのでありますが、適正規模の限界を超えた過大経営はこのころのような資材何の時代に入って果然其の欠陥を顕わし、戦災被害の甚だしい南海線の復旧意の如くならず、茲に於いて如何に国家の要請によるものでありましたとは云え、私共の手で合併致しましたものであるからには、私共の手でその過誤を訂正し、私共自らの責任を果たしたいと考えている」と当時の種田虎雄社長は述べています。

この種田虎雄社長の説明にもある通り、経済合理性以外の理由の合併は「国家政策による」というものがありますが、この時行われた民営鉄道に対する戦時統合はかなり強引だったディールもあったようで、統合が行われた東京急行電鉄や京阪神急行電鉄、近畿日本鉄道では分割が行われます。またこの三社に対しては公職追放令が施行されることになりました。もっとも、戦時統合とはいえその後分割しない例としては富山地方鉄道、名古屋鉄道や、西日本鉄道といった電鉄会社、各地のバス会社が当てはまります。

ところで、現在の会社法では会社分割の規定はあるものの、当時の商法の規定では会社分割の規程が明確でなかったようですから、どのように分割するかが問題となりました。これは同様の問題を持った京阪電鉄に対しても生じたものです。近畿日本鉄道が取った手法は高野山電気鉄道への旧南海線部門の営業譲渡という形式をとることになります。なお、当時の電鉄会社が拠出させられた副業が存在します。それが電燈事業、つまり配電及び発送電事業です。

Kintetsu_2225_Scan10076会社の合併は本来、経済的合理性によって行う必要があります。合併の目的は経験をカネで買うことですから、裏を返せば経験をカネで売るということにもなります。自社の事業として維持させることは困難であるといったことであったとしても、他社から見れば金の卵かもしれません。このような事例は中小企業のイグジット戦略を考えるときに必要となります。中小事業がハッピーリタイアメントを実現するためには、後継者を確保すること、または自社の事業を売却することが必要となります。事業を継続させてハッピーリタイヤすることが重要ですから事業閉鎖ということは考えません。事業閉鎖を選択肢から外すということは、事業が安定的に継続できる状態にあるということです。事業が安定的にあるときに、中小企業経営者はリタイアを検討する必要があるのです。なぜなら、公益性が高いといった企業でない限り国策による統合が起こることはありませんし、ある程度の規模がないと同様に国策による統合という話は出ません。

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