1944年マリアナと2011年福島

私の趣味の一つに、太平洋戦争の戦記を調べるというのがあります。最近、なんとなく考えていることを述べたいと思います。

 

第2次世界大戦前、日本海軍はアメリカ海軍を仮想敵国として軍備を整えていましたが、本気で戦争をする気はなかったといいます。この時、日本陸軍は旧ソ連を仮想敵国として軍備を整えます。海軍と陸軍では向いている方向が違うということですね。当時の海軍はアメリカ西海岸から西進する合衆国太平洋艦隊をマリアナ沖で迎え撃つという基本戦略を描きそれに従い軍備計画及び作戦計画を立てます。

 

幸か不幸か、真珠湾攻撃で幕を開けた対米戦争はその後日本海軍が想定したマニュアル通りに進行することはありませんでした。陸軍に至っては対米戦争計画そのものが存在しなかったといわれています。ただ1回だけ日本軍が想定した戦場で、想定した戦法で戦った海戦がマリアナ沖海戦(アメリカ側名称:Battle of the Philippine Sea)でした。物量2倍のアメリカ第5艦隊に対して、第一機動艦隊司令長官小沢治三郎海軍中将が立案した「アウトレンジ戦法」を実際に行い、開始時点では旗艦「大鳳」と東京の大本営海軍部では「祝杯用意よし!」とビールが準備されたらしいのです。

2011年3月11日の東日本大震災においても、福島第1原子力発電所は地震によって緊急炉心冷却装置が機能し安全性が確保されたはずでした。また福島第2原子力発電所や女川原子力発電所も緊急炉心冷却装置が作動し安定して冷温停止したことからすると日本の原子力発電所の耐震安全性は問題がないはずでした。しばらくして原子炉を再起動させればそれでよいだろうと思ったはずです。

ところが、マリアナ沖海戦は敵将スプールアンスの慎重さと作戦目的における合理的思考、およびアメリカの戦争遂行マシーンのフル稼働により、「マリアナの七面鳥狩り」と言われるぐらい一方的に叩きのめされます。日本海軍の事前準備と訓練とシナリオが一切通用しなかった。同じように福島第一原子力発電所も「想定外」の津波により事前に用意した事故回避策がすべて無効になった。事前準備をあざ笑うがごとく水素爆発が起きた。マリアナ沖海戦の結果、日本海軍は近代海軍の体をなさなくなり、事実上日本海軍は作戦遂行能力を失います(この点についてはこの見解は少数派です)。また、福島第一原子力発電所の事故により日本国のエネルギー政策は根本から見直しを求められる事態となったと思います。

 

マリアナ沖海戦の結果太平洋の制海権はアメリカの手に落ち、サイパンが陥落して東條内閣が倒閣されるという事態になります。東條内閣が倒閣されたと簡単に言っていますが、東条英機首相はサイパン陥落後もその地位にとどまり戦争指導を遂行しようとします。東日本大震災の震災対応で内閣不信任騒動が起き、一定のめどがついたら退陣することを表明して管直人首相は不信任騒動を乗り切ります。しかし管直人首相は地位に固執する気はないといいながらも退陣のそぶりを見せません。ここに1944年7月の大日本帝国の政治状況と今の政治状況の類似性を見出してしまうのです。

 

最高統帥部の機能不全と現場の決死の努力、我々は歴史から学べない民族なのでしょうか。

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