J.C.ワイリー『戦略論の原点』を読む(1) 何故に戦略論なのか

J.C.Wylie “Military Strategy: A General Theory of Power Control”なる書物を知ったのはAmazonの顧客行動分析によります。いわゆる「あなたへのおすすめ」で示されたもので、偶然に知った書物でありJ.C.ワイリー提督の存在をこの書物で初めて知りました。米海軍内においてRMA(現在の軍事革命)の議論において多大なる影響を与えた人物であるそうですが、そのことがどのような意味を与えるのかわかっていません。更に、訳者あとがきで、ワイリーが「総合戦略理論」の構築を狙っていることから、真面目に「異性の攻略に戦略論を応用してください」とする記述がありますが、他の戦略論でそのような記述を見たことはありません。ただ、私自身は思考の基本に戦略論をベースにおいていることから、意識していませんが異性と接するときに戦略論を応用している可能性があるかもしれません。ただ、偏見かもしれませんが戦略論と恋愛は結び付きませんが、女性と結びつかないことはありません。  

  さて、ワイリーの『戦略論の原点』ですが、『孫子』並みに薄いという特徴があります。従って理解するには読者の想像力を必要とします。まず、ワイリーは先行研究の解析を行います。アングロサクソンの研究者?の特性として、先行研究者の思考パターンを分析して先行研究者の思考パターンを明らかにしようとします。その中でワイリーが明らかにしたことは、彼の基準によれば先行研究者がマキャベリ、クラウゼヴィッツ、マハン、コーベット、ドゥーエ、リデル・ハート、毛沢東の7人しかいない、先行研究では「包括的な戦略の研究」と評価できるものは存在しない、戦略論の研究方法と専門用語を用意されているわけではない、ということです。仮にこのことが正しいとするならば、戦略的思考というのは人それぞれだいうことですし、戦略的であるということが成り立っていると思い込んでいるかもしれないし、ずれている可能性があるということです。

 しかし、「戦略的」であるということは何らかの共通理解があるはずで、その共通理解を明らかにしようとする知的活動を行うことが「総合戦略理論」の構築になります。 その際に、議論の対象は「戦争」であって戦闘ではない事、戦略そのものには「秘密」などない事、「戦略」は最も高度な知的活動ではあっても「科学」であるないしは「科学」とすることはできるわけではない、という三点を前提と置くということです。ただ。「科学ではない」とは必ずしも科学たり得ないというだけで、客観性がないということではありません。戦略論を取り上げることによって、思考のフレームワークと判断基準を獲得できるのではないか考えるからです。なぜならば、明確な事実と具体的なデータを示す軍人のような思考パターンと、アイディアを分解するという学者の仕事という異なる2種類の高度な知的作業を要求されると想定されるからであり、現時点では知的フロンティアがそこに存在するからです。