J.C.ワイリー『戦略論の原点』を読む(7) 総合理論の根底にある前提

 ワイリー提督は自身が構築しようとする総合戦略理論には、普遍性、特殊性、構造、包括性が必要といいますが、議論を単純化するために「戦争戦略の基礎」として制限を加えたうえで、総合戦略理論には①「いかなる防止手段を講じられようとも戦争は起こる」、②「戦争の目的は、敵をある程度コントロールすることにある」、③「戦争は我々の計画通りに進むことはなく、予測不可能である」、④「戦争における究極の決定権は、銃をもってその場(戦場・現場)に立っている男(この理論が提唱されたのは1967年であり当時のアメリカ軍において女性が戦場に立つことは想定されていない)が握る」とする4つの前提条件を置くこく事の承認を求めます。今、我々はワイリー提督の軍事理論について理解を深めようとすることを目的とはしていませんが、現在の国際関係を前提とするならば戦時に備えない国家を想定することはできませんし、敵国を無条件降伏に追い込まない限りある程度のコントロール以上に持っていくことはできませんし、計画通りに戦争が進まないのはイラク戦争で証明していますし、湾岸戦争ではイラク領内に多国籍軍兵士が立たなかったことがイラク戦争発生の遠因になったのかもしれません。  ただ、ワイリー提督が置いた前提は、①「いかなる無効化施策を講じようとも競争は必ず起こる」、②「競争の目的は、相手をある程度コントロールすることにある」、③「競争は我々の計画通りに進むことはなく予測不可能である」、④「競争における究極の決定権は、財やサービスをもって市場に立っている者が握る」と読み替えることはできるはずです。経営戦略論において重要なことはいかにして競争優位性を確立するかではなく独自性を追求することにより競争を無効化するポジショニングをとるかにありますが、経営戦略そのものは人間の知的活動によってのみ構築されるため永続的な無効化策は講じることは不可能と思われます。次に、無効化策を講じることはできないということはあっても対抗策を講じることにより相手の出方をある程度という制約はありますがこちらの制御下に置くことは不可能ではありません。更に、計画通りに進むことはないから予測不可能であるとありますが、予測不可能であるから何もしないということではなくシナリオプランニングにあるようにある程度の幅を持たせる計画によって対応することは可能です。最後は織田裕二のセリフ「事件は会議室で起きているのではない、現場で起きているのだ」ですが、実は事件は会議室で判断しますから現場だけで起きることはありません。  ワイリー提督が提唱しようとする総合戦略理論は間違いなく拡張可能な要素があるということですが、ポイントは前提となる「公準」を置いていることにあると考えます。成功したか否かの評価は別にして、学術的に耐えられる戦略論を構築する意図でもって設計されているため公準を少し変更することによって別分野に応用可能となっていると思うのは私だけでしょうか。