事業の創造 解題(4) 『空暗き煙の都に住む不幸なる大阪市民諸君よ』

乗客は電車が創造する

 

阪急電鉄は開業当初に田舎を走る電車であることを逆手に取り、「美しき水の都は昔の夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ!」で始まる分譲住宅地案内広告を打ちます。阪急電鉄は開業当初から辺鄙な土地に鉄道を敷設した関係上、「乗客は電車が創造」しなければならない宿命にありました。阪急電鉄はこのような背景を踏まえて大阪市郊外の土地開発を行います。先に引用したコピー「美しき水の都は昔の夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ!」は郊外の快適な生活を美化しています。当時の大阪市は日本最大の工業都市で、主として紡績工業が発展したことから「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたことを逆手に取っています。大阪市郊外に住宅地を分譲することは、沿線人口の増加をもたらし、ひいては鉄道収入を引き上げることになります。2012年時点で東京都副知事である猪瀬直樹氏は著書『土地の神話』で「ラッシュアワーは阪急によって作り出された」という表現をします。つまりは郊外にある住居と都心にある就労場所が離れているために、住宅地を開発した鉄道会社の車両に乗って通勤するという形態を最初に提案し、実行したのが阪急電鉄であったので猪瀬氏はこのように表現しました。

 

ブランドイメージの向上

 

阪急による土地開発の特徴は、住みやすい街づくりを考慮することにあります。大阪市を「空暗き煙の都」と表現していますが、職住近接は便利だと思っている人間に対して、郊外に住むことに対して憧れを持たせる必要があります。この時に示されたのが、静かなる緑豊かな住宅街という今の東名阪の衛星都市のうち「閑静な住宅街」でみられる形態そのものです。当初は豊中・池田で実施されたこの開発手法は、小説『阪急電車』の舞台となった今津線沿線や神戸本線沿線において展開され、阪急ブランドの向上に一役買うことになりました。

阪急宝塚及び神戸線沿線はゆったりとした住宅街として開発されているため、高級な住宅街を構成しています。最初から閑静な住宅街を狙ったことにより宝塚線および神戸線沿線は地価が高くなりました。このように開発された高級住宅街を走行するのにふさわしい車両が整備される必要があると判断した小林一三氏は電車を「走る応接室」として整備するようになりました。このことは内外装に現れます。落ち着いた「阪急マルーン」で塗装され、木目調の内装を持つすわり心地の良い椅子を持つ車両を配備し、日本一行き届いた車両と称されるまで整備します。

これら開発地と電車の相互作用によって、阪急電車の乗客は上品な雰囲気を出すことになり、沿線に居住する人間の可処分所得が向上するようになっていきます。このようにして作り出された阪急信者は阪急電車ではなく「阪急」に対する忠誠心を示すことになります。造」しなければならない宿命にありました。

当時の大阪市は日本最大の工業都市で、主として紡績工業が発展したことから「東洋のマンチェスター」と呼ばれていました。長期的に見れば大阪の地盤沈下の要因はこの時の発展に求めることができます。世界最初に産業革命を起こしたイギリスではなく、当時新興国であったドイツ、アメリカにおいて重工業が発展したのは開発余力がドイツやアメリカのほうがイギリスより多かったことを意味していると考えます。日本においては、明治時代に軽工業の発展した大阪より大正以降では東京・名古屋地域のほうに重工業の発展の余地があったということではないかということです。

阪急電鉄はこのような背景を踏まえて大阪市郊外の土地開発を行います。最初に引用したコピー「美しき水の都は昔の夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ!」は郊外の快適な生活を美化しています。郊外に住宅地を分譲することは、沿線人口の増加をもたらし、ひいては鉄道収入を引き上げることになります。2012年時点で東京都副知事である猪瀬直樹氏は著書『土地の神話』で「ラッシュアワーは阪急によって作り出された」という表現をします。つまりは郊外にある住居と都心にある就労場所が離れているために、住宅地を開発した鉄道会社の車両に乗って通勤するという形態を最初に提案し、実行したのが阪急電鉄であったので猪瀬氏はこのように称しました。

阪急による土地開発の特徴は、住みやすい街づくりを考慮することにあります。大阪市を「空暗き煙の都」と表現していますが、職住近接は便利だと思っている人間に対して、郊外に住むことに対して憧れを持たせる必要があります。この時に示されたのが、静かなる緑豊かな住宅街という今の東名阪の衛星都市でみられる形態そのものです。当初は豊中・池田で実施されたこの開発手法は、小説『阪急電車』の舞台となった今津線沿線や神戸本線沿線において展開され、阪急ブランドの向上に一役買うことになりました。
この「沿線の土地開発による乗客の創造」という手法は現在では大手民営鉄道全部に導入されていますが、明治時代においては西の阪急、東の東急以外はあまり必要とされている手法ではなかったのです。阪急より前に開業した鉄道会社は、以前に述べたとおり鉄道路線を敷設するに当たり人口密集地に駅を作るという方針を取っていたからです。したがって、明治時代の鉄道会社のスタンダードは「電車は乗客が創造する」ことでした。

阪急電鉄にとって副業が重要な位置を占めているかを表すデータが「セグメント別事業収益報告」です。阪急阪神ホールディングスにおける鉄道事業収益はおよそ3割です。大手民鉄は鉄道会社であるイメージが強いのですが、実態は土地開発とレジャー・ショッピング運営などの建物利用が収益の中心であり、開発と運営に必要な顧客を鉄道で運送しているに過ぎないといっても構わないと思います。

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