事業の創造 解題(10) 「清く、正しく、美しく」―阪急電鉄小林商法の総括

小林一三氏は甲州生まれで慶応義塾文科を卒業し、三井銀行から阪鶴鉄道監査役として派遣され、岩下清周氏から「君自身が経営の全責任を負いなさい」一喝されて阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の創業者になった人物です。実は箕面有馬電気軌道が設立された時は不況で、株式の引き受け手の過半数はいないという状態でした。不況であることに加えて、大阪から有馬間ではなく大阪から宝塚間の旅客運送は期待できないと当時の経済人は普通に思ったのです。小林一三はこの鉄道に将来性を掛けたのは、沿線に未開発の土地があり、土地の開発方法によっては人口の定着の可能性があると判断したことによります。事実、開業と同時に土地分譲を開始し、服部から宝塚までの沿線開発に乗り出しました。

 皆が失敗する思われた中で計画された事業の肝は、安定した乗客を生み出すことにあり、鉄道開業と同時に家の住み方のパフレットを作ったのです。また、「大衆」に良質な住宅地を供給する意図をもって開発を行った結果、阪急沿線は閑静な高級住宅地であるというイメージを作り出すことに成功します。阪急電鉄は乗客を生み出すために沿線とターミナルを開発したことが特徴であり、人の集まる場所をターミナルにしたわけではありません。駅に百貨店を作ることも、郊外の町に歌劇劇場を建設することも安定した乗客を作り出すことが目的であり、そのためには沿線内で日常生活から娯楽まで完結させたのです。一般に小林一三は鉄道業界のアイデアマンであるといわれていますが、思うに文科出身であることが大きな要因であると思います。安定した収益のために必要となる乗客層を特定し、彼らの望む生活スタイルを提案することが阪急電鉄スタイルの特徴といっていいと思います。ただ、普通の鉄道事業者には同じスタイルを行うことが困難であるようで、戦後になって阪急電鉄の後継者やほかの私鉄で取り入れられたのは一部分だけでした。

阪急電鉄の後継者は阪急ブレーブスを手放し、バブル期の土地投機失敗の影響で電車の更新投資ができない、ほかの鉄道会社で小林商法の拡大コピーができなかったことを考えると小林商法は真似ることができないのかもしれませんが、東急の五島慶太氏が小林一三氏の教えを受け、経営スタイルをアレンジしたことからも示せる通り、少なくともこれから事業構築を行おうとしている経営者の参考にはなることは示されています。我々も、「清く、正しく、美しく」顧客を創造し、安定した多角化を図らなければならないと考えます。宝塚の地で「清く、正しく、美しく」働いている鉄道ウーマンがいるのですから、我々にできないはずがありません。

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