太史公史書を読む(2)

2016年12月20日

太史公『司馬遷』太史公史書は、最初に五帝本紀を立てます。太史公史書百三十巻の出だしは現時点では伝説上の人物である黄帝から取り上げます。現時点では伝説というのは、記載内容から同定される考古学上の証拠がないことにより実在性を確認できないという意味です。太史公自身はどこまで五帝本紀の時代の実在性を信じていたのかわかりませんが、少なくとも全くの伝説であるという理解はしていません。ですが、我々からすると記述形式が伝説をまとめたものであると思わせる内容になっているように思えます。この点について、日本書紀や古事記が同じような特徴があるように思えます。

ですが、五帝本紀の主題は「人材の発見と登用」ではないかということです。自身の後継者をもっとも有能だと思われる人物(?)に託するために人を探すということが黄帝の役目だったのではないかと思われるぐらいにダメ出しをします。黄帝は在位が九〇年を超えるように描かれています。この間に後任にはふさわしい人物を発見したように記載されており、帝舜に至るまで徳のある人物が帝位につくという内容になっています。

最後の禅譲が帝禹に対して行われますが、帝禹を見つけ出すまでに候補者の名前が昇っては消えていくということになります。特に禹の父である鯀は家臣団はこれ以上の人物はいないという意見を述べますが、どうしても帝舜はこの人事を受け入れないのです。鯀には実績があるにもかかわらず、「人物的に問題がある」ということで排除します。この状態を受けて黄河の治水に業績があり、かつ人徳がある禹に自らの位を禅譲することになりました。なお、帝禹までの五帝は何かしらの神性を持つ存在として描かれています。

我々が大事をするにあたり指導者を選出することが必要となりますが、太史公史書で描かれた時代とは違って人の寿命には限界がありますし、後任にふさわしい人間が出るまで待つとそれこそ新陳代謝をもたらすことは出来ないという可能性が存在しますので、五帝時代と同じような人物評価を行うことができませんが、逆に最適とする人物に後を託すということを真剣に考えている組織は存在するのか、という問題点を太史公史書五帝本紀は浮かび上がらせます。

太史公史書五帝本紀では実際の観察と評判をベースにして人物評価を行っていますが、特に評判をベースにしています。これは実際に会いに行くことが困難であるということが影響しているのではないかと思うのですが、逆に今の時代は当時と比べて「会う」ことは容易ですから、あってみて真剣に「わが組織の後任のリーダーにふさわしい人物であるか」の鑑定を行うことは、五帝時代と比べれば容易であると思います。五帝本紀に学ぶとすればリーダー選出の方法ということになります。